241118ガレージバンド

これまでガレージバンドを使って曲を作ってきて発見したことは、まず何よりもドラムの音を作るのは結構面倒くさいということで、ドラムの音はプリセット音源だとカスカスで明らかに打ち込みの音だとわかってしまうから、何か強烈なエフェクトをかけてごまかすか、もしくは生のドラムを録音する(これがたぶん一番難しい)のが一番良いと思うのだが、それよりも打ち込みのドラムの裏で生音のドラムの音を一緒に録音するのが一番楽でそれっぽい音になる。「バン!」という閉じた音が「バン・・・ッ! パスパスパス・・・」みたいな空間の残響音込みで録音されるから(キーは違くてもべつに良い)、それほど時間や手間をかけないでそれっぽい音になる。生音のドラムを裏で録音しようとする場合、スティックで叩くと音が大きすぎて音割れしたりして調整するのが面倒だから、菜箸などで叩いたり、指で叩くといい。でもこれは独自の方法だから、世の中にはもっと良いやり方がたくさんあるのだろう。そもそもガレージバンドじゃないソフトを使えばいいのかもしれない。でもガレージバンドのドラムでも、たとえば電子ドラムをMIDIキーボードとして使って録音すれば、タッチがより正確に、幅広く反映される。パソコンのキーボードをカチカチやってスネアやキックを打ち込んでいっても、タッチが反映されないからずっと同じ「パン! パン!」という音になる。それを後からいじって生音っぽくすることも可能だが、そういう手間暇をかけるよりも、電子ドラムに繋いで録音するか、もしくは多重録音で生のドラムなど叩いたほうがいい。でもガレージバンドのエフェクトは最初からかなり充実しているので、そこまでしなくても適当にやっていればそれらしい音に必ずなる。でもプロの音には絶対にならない・・・。

クオンタイズという機能は、ロック曲を作るときはなるべく使わないほうが吉と出る。リズムは必ずヨレていたり、ズレていたりするほうがいい。そこは直さないほうがいい。メトロノームは作動させていたほうがいい。あとでいろいろと直すときに、小節に沿っていないと恐ろしく面倒なことになる。メトロノームを作動させず、一発録りで済ませてしまうというやり方もあるから、それでもいい。とにかく見切り発車で録音をはじめてしまえば、あとはどうとでも形になってしまい、できたものを聞き返すとそれなりに健康的な満足感を得られる。適当に録って、思わず歌も録音してしまい、あとは人に聞かせれば、それだけでも結構楽しい。ギターの音作りに関しては、オーディオインターフェイスのつまみは音割れするくらいマックスにしたほうがいい。フィードバック機能をオフにして、異常値が出るくらい大きい音にしたほうが、バリバリしていて格好良い音になる。このやり方で作ったバリバリしたギターの音は、ソフト内のどのエフェクトにも勝る良い音になる。具体的にはジャックホワイトのギターの音に限りなく近くなる。良い音、というよりも正確には好きな音か。

ベースはあまり音をあげすぎるとマスタ音源の音が割れる。だから、ドラムとベースの音作りが一番むずかしい。ディアンジェロの楽曲の音など、本当にすごいと思う。シンセやキーボードなどの内臓音源も、必ず少しは自分でいじったほうがいい。ソフトウェア音源はものすごく硬くて、薄っぺらくて、偽物っぽい。だからキーボードなども、ソフトウェア内で鳴らすんじゃなくて、部屋のなかで生で鳴らした音をパソコンのマイクなどで録ったほうが空間の響きが一緒に録音されて本当の音(!)に近づく感じがする。やはり音というものは、デジタルじゃなくてアナログが本質なのか。とはいえパソコンで録音している時点でデジタルだが。

声もパソコンの内臓マイクで録ったほうがいい。マイクは買うと高いし、結局そんなに変わらない。でもそれは勘違い、というか無知なだけだ。私はちゃんとしたマイクといったものを買って使ったことがないし、オーディオインターフェイスだって1万円のきわめて安価なものしか使ったことがない。ガレージバンドは無料だ。でもそれでも何か作って良いのが音楽というか、作品というか、遊びの正しいすがたのはずだ。聴くことと、聴かせることと、作ることと、歌うことと、録ること、ぜんぶ違う。ぜんぶ完全に異なるモードで行っている運動で、そのどれもに非常に生物的な、奥行きのあるレンジがある。とはいえ聴くのが一番楽しい。いや、作ることも楽しいか。やはりまったく違うチャンネルの行動なのだろう。友達のために曲を作るのが一番楽しい。家族や恋人ではいけない。やはり遊びなのだ。

241116お風呂入っておいで?

大学に通っていたとき、よく強烈に寂しい気持ちになった(という記憶がある。)おそらく18~22歳のときである。春休みや冬休み、部屋で一人でいるときなどに、よくあった。そういうときは、意味もなく出かけ、自転車に乗って野山を走ったり、廃墟になった遊園地へ行ったり、これ以上もう無理だ帰ろう、と思うまで真っすぐ国道を走って行ったり、知らない路地を歩いたり、公園のベンチに座って遠くを見たり、そうやって金はないまま時間だけは無限にあった。よく外で本を読み、菓子パンなどを食べた。

そのような寂しさを感じつつも自分がどこまでも広がっていく感じ、それに似たようなものを、久しぶりにこの瞬間も感じているように思う。いまは深夜の3時で、私は新潟のアパートにいる。非常に静かで、もの寂しい。こういう時間が静止したような瞬間が、18~22歳のときにたくさんあったな、ということを思い出すぐらいには、あの頃によく似ている状況である。そういえば深夜に起きていることがよく増えた。あの頃はといえば、私は温泉掃除のバイトをしていた。そのときも遅くまでよく起きていた。

温泉掃除のバイトは、O先輩の紹介で勤めることになった、と記憶している。O先輩は2年上の先輩で、私にミッシェルガンエレファントを教えてくれた。『ギヤ・ブルーズ』というアルバムが素晴らしいから聴くと良い、とメールで教えてくれた。たしかO先輩と私はラインではなくメールでやり取りをしていた。私はハードオフでそのアルバムを買い、聴いたが、最初はよくわからなかった。どんな音楽も、最初はよくわからない。ずっと聴いていると、それが身内の音楽になっていくから、不思議である。

温泉掃除のバイトは、夜の11時に始まり、12時半に終わるのだったか。裏口から入り(格好は半袖短パンに着替える)、11時なるとクレンザーやタワシ、デッキブラシや桶などをそれぞれ持って、掃除をはじめる。シフトは必ず3人体制で、ほとんど全員は私の通っている美術大学の学生である。一人だけ社会人のRさんという方がいて、彼は見た目がストロークスアルバートハモンドジュニアにそっくりだったため、私とZさんはその頃ストロークスが大好きだったから、彼のことをひそかにアルバートハモンドジュニアと呼んで尊敬していた。

11時に男湯(ないし女湯)から掃除をはじめる。役割は暗黙の了解で、3人それぞれ自然に分担が決まっている。私はよく側溝の掃除をしていた。クレンザーをふりかけ、ぬるぬるしているところをタワシでごしごし洗う。天然温泉なので、ぬるぬるしているのが人体の残渣物なのか、天然資源の残渣物なのか、判別はつかない。とにかくぬるぬるしているところをごしごし洗って、つるつるキュッキュッするまでタワシでこするのだ。私はデッキブラシでこするよりもタワシでこするほうが速くキュッキュッするので、ずっとタワシをつかっていた。でも素手でクレンザーとタワシでずっと洗っていると、あっという間に手荒れするから、ゴム手袋が必須なのである。洗剤の刺激は人体の皮膚にとってとても強い。皿洗いや風呂掃除は、必ずゴム手袋をして行ったほうがいい。

温泉はとても暑く、夏場はとてもつらい。冬はとても暖かい。山形の冬はとても厳しい。冬場に温泉掃除に入ると、硫黄とお湯の温かい空気を受けて、とても身体が温まり、緊張がほぐれた。夏場はその逆である。

12時前になると泡を洗い流し、お湯を張って、新しい温泉の一日がはじまる。(とはいえ、これは記憶で語っているだけで、本当は細かいところは覚えていない。)お湯を張ると、お湯を入れ替えていないほうの風呂に私たちは入浴することができる。(日毎にお湯を入れ替えるほうが決まっている。月曜日は男湯、火曜日は女湯・・・というように。火曜日のシフトで入ったとしたら、女湯のお湯を入れ替える。)

いや、そんなわけがない。たぶん記憶違いをしている。たしか両方お湯は張り替えていたはずだ。

それから掃除が終わると、私たちは自由に温泉に入ることができる。お風呂に入ってから帰ってもいいし、お風呂に入らないで帰ってもいい。ほとんどの人はお風呂に入ってから帰る。なぜならば、そのほうが得だからである。

日によってソフトクリームも自由に食べることができた。

お風呂に入るのは、0時~0時半くらいのあいだだった気がする。同じシフトに男女がいた場合、女性が先にお風呂に入ることになっている、そのあいだ、男たちは控室で女性陣がお風呂から上がるのを待つ。男がお風呂に入れるようになるのは0時40分頃だったと思う。

あるとき、私とK君とEさんの3人のシフトのときがあった。K君は日本画専攻の若者で、クラウトロックに影響を受けたバンドのボーカルをやっている。Eさんは彫刻科の専攻で、私とK君の1歳上の女性であった。

Eさんは運動神経がよく、身のこなしがしなやかで、いつも脱力したようにしゃがみ込み、自分のペースで床をタワシでこすっていた、という印象がある。髪は黒く、声は低く、粗野で奔放な印象を与えつつも、いつもどこか気品のようなものが漂っていた気がする。弟がいるせいか、どちらかというと面倒見が良く、同じ学部に彼氏がいるとのことだった。

その日掃除が終わり、いつものようにEさんがお風呂に入ると、私たちは控室に座って雑談をしていたが、するとK君がとつぜん「あっ!」と言い

「俺、用事があるんだった! 今日は風呂はいいや!」

と言って、一人で帰っていってしまった。

やがて廊下の向こうでガラッと襖が開く音がすると、暖簾の向こうからEさんがぬっとあらわれ、

「おまたせ」

と言って、髪をタオルで拭きながら、

「あれ? Kくんは?」

と言って、

「なんか、用事があるとか言って、帰りました」

私がそう言うと、Eさんは、

「ふーん」

と言って、

「お風呂入っておいで?」

と言った。

私はそのときのことを強く覚えており、Eさんの声音や、すがたや、温度や、まわりの質感や、雰囲気が、何というか、「家」のようだと思った。どこかの家の、誰かの姉が、実際にそう発しているように自然な声音で、そのせいで私はその瞬間に「家」の雰囲気を感じとった。実際にEさんは弟がいるから本当に「姉」ではあるのだが、そうではなく、そのときは、私が本当にその家の弟になったような気持ちになった。より正確に言えば、こうであったかもしれない自分といったものの、別の人生を追体験したような気分になった。よく知らない家の、よく知った姉貴が、自分の知らない人生に重なり、自分がとても幼く小さなどこかの「弟」になったような気分になった。それほどまでに自然で、適当で、気負うところのない声音であり、ちょうどハンターハンターでセンリツがフルートを吹くとそれを聴いた者が瞬間的に別世界に誘われるように、私も自分が誰かの弟だったときの人生を一瞬だけ追体験したような気分になった。

Eさんは元気だろうか。クリスマスの時期にバイトの皆でプレゼントを交換したときがあったが、私が買った『泣きたい日に読むぼのぼの』は、Eさんが引き当てた。

姉さん。

241115手品

道を歩いていると色々なものが目に留まる。それから流れていく。というより去っていく。視覚へ頼るところはかなり大きく、嗅覚はよほど感じようとしなければ香らない。花の匂いや草の匂いは感じる。コンクリの匂いや家々の匂いも感じる。しかし一番頼りにしている情報は視覚であり、それゆえに見落としているものがたくさんある。それどころか、いま見えているものですらうまく言語化することができない。目で何かを見るということはとても特別な行為であると長いあいだ言われている。しかし目を閉じれば音も聞こえる。匂いや音だけではここがどこなのかわからない。目で見るとここがどこなのか、便宜的にはわかる。ここがどこなのか。ここは座標と地区名を与えられた人口世界で、この外には国があり、国の外にはまた別の国がある。惑星は広い。広くて大きい。少なくとも私たちのスケールから見れば。宇宙は広い。とてつもなく大きい。ひとつの惑星のスケールから見れば。そして私たちのスケールから見れば、素粒子はとてもとても小さく、そのなかで起こっていることを物理的に観測することはできない。論理や数式を用いて理解することはできる。それが最大のスケールへと向かえば記述対象は宇宙へと変わる。変わるのではない。素粒子は宇宙で、宇宙は素粒子だ。それからわれわれの身体も素粒子から作られている。思考も、記憶も、感覚も、光も、匂いも、手触りも、みな素粒子である。物理学が発展する前に、すでに仏教や禅がそのような理論を構築していたという事実が不思議である。とすると、これは真実か。しかしそれもまた便宜的に下されるに過ぎない結論で、この理論はこの先何度も修正される。

昨夜はIさんと通話をした。気づくと、3時間だ。”手品”という謎の概念について議論が白熱した。しかし何を話したのかよく覚えていない。私はそんなに酒を飲まなかったはずだが、疲れていたのか。それともあまりに会話がブーストしており、なにもかもすっ飛んでしまったのか。私はIさんの言っていることはよくわかる。彼が書物だとしたら読んでいてとても面白い文体だ。そして書かれていることではっとさせられることがある。ニンジャさんは元気だろうか。

241114楽しさ

休む・・・とはいえ、何をして休めばいいのか。何もしないのだったら寝るしかない。あ、でも運動もしたい。とはいえ今日も明日も明後日も休みではない。夜に家に帰ってきても最近はずっとトラックなどいじってる。別に必要だからやっているわけではない。何もしないよりは楽しい。

皿洗いはずっと放置されている。洗濯は溜まったら仕方なくしている。料理はめったにしなくなった。掃除など半年以上していない。何もかも面倒で、何もかもが楽しい。充実している気がする。

手も足も舌も頭のなかも、もっといえば心といったものさえも、少しずつ汚れて褪せた感じになっており、年月の経過といったものを感じる。これは比喩表現で、実際に手足が汚れているわけではない。だが、色々なことに鈍感になった。ずっと綺麗に保とうと思っていたものも、少しずつユーズドな感じの風合いになっていき、生活の色気が増していった。

毎日ものすごく疲れている。だが何もしないよりは楽しい。人類は暇と退屈に耐えられない。そのせいで争いが絶えない。全員がうつ病になれば生産量は落ちるから世の中の雰囲気は今よりもっとずっと平穏なものになるが、その代わり皆が貧乏になり、不潔になり、怠惰になり、医療機関が機能しなくなり、法がゆるくなり、強姦や殺人も増え、文化資本も衰退するし、最大公約数の幸福指数みたいなものは下がっていくだろう。けっきょくは元気な奴が作っている世界で得をするのは元気な奴で、だからこそ元気は権威で暴力だ。でも人から元気を奪ったら上記のような世界になる。そして個人の世界においては、毎日そのような状態で戦っている人もいる。元気などというものは、個人でコントロールできるわけがない。自分の身体など、コントロールできるわけがない。人生などコントロールできるわけがない。それは不思議なことだ。

抽象的なことばかり考えている。そろそろ具体的なことを考えたい。旅行でもして、サービスを消費するか。服でも買って、イメージを消費するか。彼女でも作って、どこかへ行ってみるか。新しいことでもはじめてみるか。わからぬ。わかっていることは、何かをすれば確実に「楽しい」ということだけである。そしてその「楽しさ」が、確実に誰かを不幸にしているということである。

気分的には、本を読みたいかもしれない。そしてとりわけ、街に出たい。酒はそこまで飲みたいと思わない。東京で暮らしたい。東京にはたくさんの「楽しさ」があるがゆえに、たくさんの不幸がかき消されて、スピードも速いし、もやもや~っと輪郭がぼやける感じがし、ゆえに安心して笑える。

241113静かな一日

本日は、静かな一日だった。よく晴れていた。日没時に海沿いを走ったが、波があまりに動的で、ダイナミックで驚いた。嫌いな上司(50歳、性的魅力あり)と遠方の地で待ち合わせ、現調を行ったが、いまではあまり嫌いではなくなった。どうしても彼に無関心になれず、嫌いだという気持ちがつのっていたのは、おそらく彼の性的魅力がゆえだろう。あまりにもセクシーなものを前にすると、人は、ザワザワする。それが恋愛対象である異性であるのならばただ単純にうれしいが、同性だとものすごく決まりが悪く、居心地が悪いのだ。私が同性を愛することができれば良かったのだが、しかしそういった葛藤を越えて敵を愛することもできるはずだ。まずは私からだ。おそらく彼も私のことが気になっている。彼は自分のペースに人を巻き込むタイプである。優雅に歩き、おもむろに車のボンネットに腰を下ろし、スーツと革靴に包まれた長い脚を美しく組みかえ、聴く者の耳を愛撫するように低い声でゆったりとしゃべる。彼は人に合わせてもらうことに慣れている。そして、私も周りに合わせてもらうことに慣れている。ある部分では、私たちは似ている。私は彼のペースに合わせないから、彼は私のことを少しだけ不愉快に感じている。私も同じだ。私は彼に話しかけない。彼が私に話しかけるときは少し警戒しているような口ぶりになっている。あと、ほんの少しだ。ほんの少しで、嫌いだった人と心を通じ合わせることができる。まずは私からだ。そしたら、じゃあ、次はお前がやってもらわなくちゃなあ、と、どうしても思ってしまう。お前の欺瞞を暴いてやる。この世は虚無で、お前のふるまいに何の意味もないということをわからせてやる。そういった暗い気持ちが湧き上がってくる。そして、それを必死に抑え込んでいる。俺も戦っている。闇が強くなるほど、光もまた強くなる。俺は闇を切り裂く。その先にある光をつかみ取る。君の声が聞こえる。

241112ジェネレーションザッピングシステム

ロイヤルホストでコスモドリアを食べた。美味しかった。コスモドリアは名前が良い。初めて食べた。ドリアの上にレモンの薄切りが乗っている。ドリアにはエビと鶏肉とキノコと栗が入っている。サラダはレタスと玉ねぎ、スープは溶けるほど煮込んだ玉ねぎ、コーヒーはちゃんと苦い。ガストのコーヒーはやばい。ロイヤルホストのコーヒーは美味い。バニラアイスは驚くほど美味かった。これらはすべてランチセットで付いてくる。世田谷代田駅を歩いていくと松陰神社があり、その近くの大通りにあるロイヤルホストでよくお昼を食べた。後輩の現場が近くにあり、何かと現調など同行していた。後輩はサクライという名前だったがサクライと一緒にロイヤルホストに行ったことはたぶんない。サクライの彼女はアイドルだったが、私はアイドルに詳しくないので名前を言われてもわからなかった。東京にいたときはとにかくよく歩いたものだ。サクライと世田谷の住宅街を歩いているとき「すごい家がたくさんあるな」ということを私が言うと、「家ほしいっすか?」と言われ、「ほしい」と答えると、「家なんて、いらなくないっすか?」と言われ、(言われてみればそうだな)と思った。サクライは私に「女の子、紹介しましょうか?」と言って、私が「うん」と言うと、「どういう子がタイプっすか?」と言ったので、私が冗談で「何でも言うこと聞くやつ」と言ったら、彼は笑っていた。サクライとはいまでもラインのやり取りをしている。なぜだ。誰だ、サクライとは。いったい何なんだ。なぜ俺はいまここにいるんだ。ここはどこなんだ。

梅が丘は個人的に好きな駅、町だった。19歳のとき、梅が丘にある楽器屋で初めてのエレキギターを買った。70年代のヤマハのSA-50というギターで、11万円だった。わざわざ山形から梅が丘の楽器屋までギターを買いに行った。ギターを買うためにバイトをして、半年間貯金した。坂の下にあるマックスバリューに20時付近に行くと腐る直前の野菜が20円や30円で売っており、それを買っては煮て食べた。大根は葉や皮をキンピラにして、本体は安くなった鶏肉などと一緒に煮込んで食べた。大学の裏にある野山で村岡と一緒に栗を拾って食べ、栗は無料で良いな、と思った。梅が丘という町は、村岡の元カノの地元だった。梅が丘というのは名前が良い。ひっそりとしているのに、意外と路地裏に面白い洋食屋や定食屋があって、石畳になったところやコンクリートになったところがある道がいくつも枝分かれして、晴れた路地に伸びている。少し歩けば新代田や下北沢まで行くこともできるし、世田谷代田のあたりまで行くことができるのではなかったか。東京にいたときは「歩いて40分」なんて(近いな)と思っていた。晴れた道の上で、いつまでものびのびとしていた。音楽を聴いて、本を読んで、どこまでも歩いて行った。楽しかった。いくつもの線路沿いを歩き、疲れては休憩して、たくさんの人とすれ違い、美味しいものをたくさん食べた。Yさんは元気だろうか。Yさんは職場の部署は違うが上司で、マサチューセッツ工科大学を卒業してから東京の大手設計会社で働いていたが、なぜか私のいる会社に途中から転入してきた。Yさんはトムヨークが好きだった。Yさんはよく色んなところへ連れていってくれた。西麻布の看板のない焼き鳥屋がものすごく美味しかった。看板もなければ、メニューもない。お客が「何ある?」と聞いて、焼いてる人が「あれありますよ」と言うような注文スタイルの店だった。皮の付いたまま焼かれたヤングコーンが美味しかった。モデルが接待するクラブにも連れていってもらった。私の隣に座った女はL'Arc〜en〜Cielが好きだと言っており、私もそれに同意した。ラルクアンシエルは良い曲がたくさんある。いま考えてみれば、皆ハイになっていた。金、酒、女、あらゆる勝利と敗北。会社にいる人たちも、周りの友達も、女たちも、私も、皆ハイになっていた。やがて疫病が世界中に蔓延すると、その騒々しさも消えてなくなり、そして二度と戻らなくなった。

山形のアパートにいる私と、東京のアパートにいる私と、新潟のアパートにいる私が、『仮面ライダー 正義の系譜』のように、ジェネレーションザッピングシステムを使ってお互いに通信ができたら、きっとお互いまったく話が通じないだろう。『仮面ライダー 正義の系譜』はプレイステーション2のゲームである。『仮面ライダー 正義の系譜』で例えたら、山形のアパートにいる私は仮面ライダー1号であり、東京のアパートにいる私は仮面ライダーギルスであり(ギルスは操作できないが)、新潟のアパートにいる私はライダーマンか何かか(ライダーマンも操作できない)、まるで見当もつかない。いったいここはいつで、どこなのだろう。

241111センスの哲学

第一次世界大戦後にダダという芸術運動が生まれ、トリスタン・ツァラという人が新聞をバラバラに切って箱に入れ、そこからランダムに取り出した単語の並びを詩にするなどの活動を行ったらしい。アンドレ・ブルトンという人はシュルレアリスムという運動の先駆者で、自動筆記で無意識をそのまま詩にするような表現活動を行ったとのこと。たしか「優美な死骸」もシュルレアリスム運動のひとつで、バンドのWilcoの歌詞もこの手法で作られている、とウィキペディアに書かれてあった気がする。1950年代にはジョン・ケージという作曲家がくじ引きで音を選んで作曲するなどの活動を行ったらしい。

「偶然性ベースのゆるい状態から締めていく」というような発想で、テキトーに絵を描いたり、音を出してみると面白い。何かを表現しようと意気込むのではなく。

このような一説がいま読んでいる本に出てきて、バンドの音楽性にも通ずるところがある。これは千葉雅也という哲学者が書いた『センスの哲学』という本で、たぶん新刊である。

一方では、偶然性という余剰を、「どう構造化するか」という意識と拮抗させてコントロールするような努力があり、芸術製作においてはそれがメジャーだと思います。他方では、もっとワイルドに、身体がそもそも奔放で、自由な運動からザックザックとものを作ってしまうようなタイプの人もいる。後者が「天然」などと呼ばれるわけです。しかし、天然の人にだって技術はあり、偶然性をそのまま生きているわけではありません。

偶然性と、それに対してどう秩序を作るかが、いろんな事柄において問題になる。

大きな方針としては、次のようなスタンスを提案したいと思います。

・自分に固有の、偶然性の余らせ方を肯定する。

目指すものへの「足りなさ」をベースに考えると、それを埋めるようにもっとがんばらなきゃという気負いが生まれ、偶然性に開かれたセンスは活性化しません。それに対して、「余り」をベースに考えれば、自分の理想とするものにならなくても、自分はこういう余らせ方をする人なんだからいいや、と思えるわけです。それは、自分に固有の足りなさだと言える。ですが、それをもっとポジティブに捉えてみる。その方がより創造的になれると思います。

これはひとつのライフハックで、何かをやるときには、実力がまだ足りないという足りなさに注目するのではなく、「とりあえずの手持ちの技術と、自分から湧いてくる偶然性で何ができるか?」と考える。規範に従って、よりレベルの高いものをと努力することも大事ですが、それに執着していたら人生が終わってしまいます。人生は有限です。いつかの時点で、「これで行くんだ」と決める、というか諦めるしかない。

そう考えると、たしかにその通りのような気がしてくる。楽曲を作ろうとしていたから駄目だったのか。