ロイヤルホストでコスモドリアを食べた。美味しかった。コスモドリアは名前が良い。初めて食べた。ドリアの上にレモンの薄切りが乗っている。ドリアにはエビと鶏肉とキノコと栗が入っている。サラダはレタスと玉ねぎ、スープは溶けるほど煮込んだ玉ねぎ、コーヒーはちゃんと苦い。ガストのコーヒーはやばい。ロイヤルホストのコーヒーは美味い。バニラアイスは驚くほど美味かった。これらはすべてランチセットで付いてくる。世田谷代田駅を歩いていくと松陰神社があり、その近くの大通りにあるロイヤルホストでよくお昼を食べた。後輩の現場が近くにあり、何かと現調など同行していた。後輩はサクライという名前だったがサクライと一緒にロイヤルホストに行ったことはたぶんない。サクライの彼女はアイドルだったが、私はアイドルに詳しくないので名前を言われてもわからなかった。東京にいたときはとにかくよく歩いたものだ。サクライと世田谷の住宅街を歩いているとき「すごい家がたくさんあるな」ということを私が言うと、「家ほしいっすか?」と言われ、「ほしい」と答えると、「家なんて、いらなくないっすか?」と言われ、(言われてみればそうだな)と思った。サクライは私に「女の子、紹介しましょうか?」と言って、私が「うん」と言うと、「どういう子がタイプっすか?」と言ったので、私が冗談で「何でも言うこと聞くやつ」と言ったら、彼は笑っていた。サクライとはいまでもラインのやり取りをしている。なぜだ。誰だ、サクライとは。いったい何なんだ。なぜ俺はいまここにいるんだ。ここはどこなんだ。
梅が丘は個人的に好きな駅、町だった。19歳のとき、梅が丘にある楽器屋で初めてのエレキギターを買った。70年代のヤマハのSA-50というギターで、11万円だった。わざわざ山形から梅が丘の楽器屋までギターを買いに行った。ギターを買うためにバイトをして、半年間貯金した。坂の下にあるマックスバリューに20時付近に行くと腐る直前の野菜が20円や30円で売っており、それを買っては煮て食べた。大根は葉や皮をキンピラにして、本体は安くなった鶏肉などと一緒に煮込んで食べた。大学の裏にある野山で村岡と一緒に栗を拾って食べ、栗は無料で良いな、と思った。梅が丘という町は、村岡の元カノの地元だった。梅が丘というのは名前が良い。ひっそりとしているのに、意外と路地裏に面白い洋食屋や定食屋があって、石畳になったところやコンクリートになったところがある道がいくつも枝分かれして、晴れた路地に伸びている。少し歩けば新代田や下北沢まで行くこともできるし、世田谷代田のあたりまで行くことができるのではなかったか。東京にいたときは「歩いて40分」なんて(近いな)と思っていた。晴れた道の上で、いつまでものびのびとしていた。音楽を聴いて、本を読んで、どこまでも歩いて行った。楽しかった。いくつもの線路沿いを歩き、疲れては休憩して、たくさんの人とすれ違い、美味しいものをたくさん食べた。Yさんは元気だろうか。Yさんは職場の部署は違うが上司で、マサチューセッツ工科大学を卒業してから東京の大手設計会社で働いていたが、なぜか私のいる会社に途中から転入してきた。Yさんはトムヨークが好きだった。Yさんはよく色んなところへ連れていってくれた。西麻布の看板のない焼き鳥屋がものすごく美味しかった。看板もなければ、メニューもない。お客が「何ある?」と聞いて、焼いてる人が「あれありますよ」と言うような注文スタイルの店だった。皮の付いたまま焼かれたヤングコーンが美味しかった。モデルが接待するクラブにも連れていってもらった。私の隣に座った女はL'Arc〜en〜Cielが好きだと言っており、私もそれに同意した。ラルクアンシエルは良い曲がたくさんある。いま考えてみれば、皆ハイになっていた。金、酒、女、あらゆる勝利と敗北。会社にいる人たちも、周りの友達も、女たちも、私も、皆ハイになっていた。やがて疫病が世界中に蔓延すると、その騒々しさも消えてなくなり、そして二度と戻らなくなった。
山形のアパートにいる私と、東京のアパートにいる私と、新潟のアパートにいる私が、『仮面ライダー 正義の系譜』のように、ジェネレーションザッピングシステムを使ってお互いに通信ができたら、きっとお互いまったく話が通じないだろう。『仮面ライダー 正義の系譜』はプレイステーション2のゲームである。『仮面ライダー 正義の系譜』で例えたら、山形のアパートにいる私は仮面ライダー1号であり、東京のアパートにいる私は仮面ライダーギルスであり(ギルスは操作できないが)、新潟のアパートにいる私はライダーマンか何かか(ライダーマンも操作できない)、まるで見当もつかない。いったいここはいつで、どこなのだろう。